古代日本は国際色豊かだった?奈良の都にペルシャの役人【海外の反応】

nara

奈良の平城宮跡からペルシャ人の役人の名前が記された木簡が見つかった。
1,000年以上前の奈良にペルシャ人の役人がいた証拠になる。

1960年代の発見当時、この木簡に書かれた文字を肉眼で読み取ることはできなかったが、
今回、赤外線撮影の結果、役人を養成する「大学寮」でのペルシャ人役人の宿直に関する勤務記録で、役人は数学を教えていたのではないかと考えられている。

この発見は奈良時代の日本はこれまで考えられていたより国際的であることの裏付けとなる。

奈良文化財研究所の渡辺晃宏氏は「奈良は国際色豊かな都市、外国人に対しても対等だったのではないか」と
コメントしている。

・当時彼は日本のビザを持ってたってことだよね。クールだ。

・これは興味深いね!ずいぶんと彼は遠いとこから来てたんだ

・実際、古代は交流がさかんだったのかもしれないね。確証はできないけど、
少なくともあやしい情報でもなさそうだ

・ワオ!確かに古代日本と古代ペルシャのアートには共通性があるんだよね!

・奈良の正倉院には古代ペルシャのガラスの器や楽器も保管されているんだよ
当時たくさんの人がシルクロードを通って日本に来ていたのも十分に考えられるさ

・つい先日はローマのコインが沖縄で見つかったってニュースがあったね

・俺の在留カードをどこかに残しておき、それが1000年後に発見されたらどうなるかな?

・日本は他のアジアの国々と比べたら国際的だったんだよ。徳川の時代まではね。

・これが本当だとして、今の時代に何か違いをもたらすのか?

・古代ペルシャは豊かな文化と知識の中心だったとも言えるね。

・この間、奈良の近くの湖に行ったとき、現在のイランの方角を見て餌を食べている鳥を見たんだ。
これも国際色豊かだって言える?

・これを読んだみんな、それって外国人が対等だったという証拠になるって思う?

・↑対等だったかどうかは、あくまでも憶測だよ

・少なくとも当時の奈良でペルシャ人は重要視されていたと思うんだ。
1000前の奈良政府は数学や天文学の知識を学ぼうとしていたっていうこと

・で、その役人がアフターファイブに同僚とカラオケを楽しんでいた、という証拠はもう出たの?

・平安時代の平家はペルシャ人だったという説もあるしね。
秦氏も外国人でユダヤの失われた10氏族の一部とも言われてるよ。

・そのペルシャ人もやっぱし日本で「お箸の使い方が上手ですね~」とか言われてたのかな?

http://www.japantimes.co.jp/news/2016/10/05/national/history/research-uncovers-evidence-ancient-japan-cosmopolitan-previously-thought/#.V_ZuaeiLTIU
https://www.japantoday.com/category/national/view/ancient-japan-more-cosmopolitan-than-thought-researchers

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コメント

  1. はべのん より:

    物部氏や海部氏もユダヤの末裔。秦氏は4世紀ごろに日本に来たが、物部氏や海部氏はもっと前。たぶん徐福と関係している。徐福もユダヤの末裔。
    秦の始皇帝もユダヤの末裔。
    坂上田村麻呂は、碧眼で金髪の大男。明らかに日本人ではない。
    ヤマトタケルノミコトも180cm超えの大男。
    天皇・・・帝(ミ・カド)はユダヤ語でカド族出身という意味。

  2. はべのん より:

    他のアジアと比べてと言うのはオカシイ
    他も調べれば出てくるだろうと思う、日本まで来れたのだから
    ただし部族ばかりで大きな集合体のなかった国ならそういう人はあまり留まらないだろうけど
    発見できてよかったね!おめでとう!

  3. はべのん より:

    ※1
    君が代の歌詞もユダヤの言葉に変換出来るんだっけ?

  4. はべのん より:

    国際色豊かだった?もなにも古代貴族の半分は完全に渡来人なんだが
    全体の1/4が漢人、同じく1/4が百済と高句麗から来てる
    そして残りの半分も弥生時代以降の渡来人の末裔だらけと思われる

  5. はべのん より:

    古代の日本人は、大陸で滅ぼされた王朝の王族や貴族の逃亡先だったからな。
    大陸では、王族などはそのままそこにいると一族全て最後の一人まで虐殺されるから、必死になって逃げてきたんだろうな。

  6. はべのん より:

    何言ってんだ
    徳川は東南アジアとかに精力的に貿易にでて日本における出島みたいなのも向こうにこさえてたくらいだぞ

  7. はべのん より:

    東大寺の工人の名簿にも中東あたりの出身っぽい名前が出てきたとか聞いたことあるんだが
    遣唐使船とか意外といろんな人が便乗してきてたかもねー

  8. はべのん より:

    高山のお祭りの山車に何故か西洋のタペストリーが掲げられている
    室町時代にシルクロードによって持ち込まれたらしい

  9. はべのん より:

    そういえば
    山車に中東のジュータンが使われてて
    どうのって
    聞いたことあるな

  10. はべのん より:

    正倉院のお宝だけじゃなく、奈良の橿原市のナントカ古墳(名前失念)から発掘された
    ガラス製品を蛍光X線分析で融剤調べたらササン朝ペルシア産のガラス椀、ローマ帝国
    で作られたガラス皿だったことが発覚したって数年前に新聞で読んだ記憶。
    古墳時代からシルクロードだか海の道だかで交流があったってこと。

  11. はべのん より:

    人間の好奇心本能としては東の果てまで行ってみたいと思うのは分かる気がする。しかし当時、太平洋はどう解釈していたのだろうね?

  12. はべのん より:

    竹内文書では、超古代に日本人の祖は、中近東の方に部族を引き連れて行って一時期を過ごし、数世紀をかけてまた日本に戻ってきたという話もあるそうだね。

  13. はべのん より:

    ※1
    こういう、こじつけを信じいている阿呆が海外にデマを拡散させるんだろうな

  14. はべのん より:

    >秦氏も外国人でユダヤの失われた10氏族の一部とも言われてるよ。
    秦氏は百済滅亡時に弓月君と名乗って日本に亡命し天皇家の臣下となった百済王家の一族。
    イスラエル大学ではアジア系ユダヤ人の弓月国の王子の一行が失われた十支族を探す旅に出て朝鮮半島に辿り着き百済を建国したとしてる。

  15. はべのん より:

    聖徳太子の母親がペルシャ人なんだっけ?まぁ、現代の歴史では聖徳太子自体が抹殺封殺されつつあるけど、当時の水を活かした奈良の都市作り、都市デザインはペルシャの宮殿と共通類似点も多いんだろ?

  16. はべのん より:

    ※1
    軽口ででたらめを拡散させるのはよくない
    断定口調で書き込むのもよくない

  17. はべのん より:

    古代の半島南部は日本の支配下であり、貴族も日系だった
    これはちょうど戦後、半島や満州から日本人が引き上げてきたのと同じ
    渡来人は朝鮮人とは関係ない

  18. はべのん より:

    ※12
    にせものの歴史書でものを語らないで下さい

  19. はべのん より:

    昔は今みたいに国家と言う概念がないぞ。日本人とかちょっくらいってくるわ!てシナ大陸いったりしてるし。国って概念がないから国境もない。

  20. はべのん より:

    ※1 のように、歴史を断言口調で語るアホの言う事は無視していい。

  21. はべのん より:

    ※14
    >秦氏は百済滅亡時に弓月君と名乗って日本に亡命し天皇家の臣下となった百済王家の一族。
    この氏族伝承は9世紀後半に盛んになったものであって、真実性には疑問が呈せられており、その出自は明らかでなく諸説がある。
    断言できないよ。

  22. はべのん より:

    > その役人がアフターファイブに同僚とカラオケを楽しんでいた、という証拠はもう出たの?
    正倉院宝物の、国宝「酔胡従」
    能楽のお面だが、酔っ払った胡人の顔
    白人(アーリア人)が酔っ払ってるのが当時の平城京で相当話題になったんだろう

  23. 兜率天の巡礼 より:

    日ユ同祖論は司馬遼太郎もロマンは感じてたみたいだったけど、結局、伝説として味付けの一つと考えてたようだね。
    小沢真珠や平井堅のような平たくない顔立ちが、たまに関西などにいるのはこういうかたたちの子孫なのかもね。
    因みにインド人が綿を日本に伝えたとか、大仏開眼に林邑(ベトナムにあったチャンパー族の国)の使節が来たとか、意外に人は動いていたようだよね。

  24. はべのん より:

    秦氏は、苗字を日本人らしく畠や畑と変えていった。
    だから、畠や畑と言った苗字(一字名苗字だけでなく、〇畑、畠〇他)の
    日本人は、皆彫りの深い、濃い顔をしていますよ。
    これには心底驚く。

  25. はべのん より:

    ※1
    ムーの読みすぎでは?

  26. はべのん より:

    ペルシャ=新羅人
    ちなみに現生朝鮮人とは無関係

  27. はべのん より:

    むしろなんで今のほうが国際的だと思うんだろ
    今は移動する技術が発達しただけだし紀元前、古代、中世とかのほうが遥かに国際的だろ
    フランスというバカが発狂して近代国家が連鎖的に誕生しナショナリズムが生まれたから今のほうが余裕で国って概念がはっきりしてるし尊ばれてる

  28. はべのん より:

    いや…コメント欄で変なこと書いてる人達、それ周りの人に言ってみて
    たぶん距離を取られるから

  29. はべのん より:

    鑑真和上の弟子で日本に同行してきた僧の中にもペルシャ系の人がいたはず
    まだペルシャ一帯もイスラム一色じゃなかったったて事なんだろうね。

  30. はべのん より:

    遺伝子的調べると人種が分かる時代だから日本人の中に子孫が居るか
    検証してみるのも面白いと思うね。
    希望者を募ると楽しいかも。

  31. はべのん より:

    こういうのって数人、数十人レベルの話であって遺伝子や文化に影響は殆ど無いよ
    そうでなければ百済王族や高句麗難民の渡来のようにちゃんと記録や遺構が残ってる
    顔が濃いのは単に縄文系の形質が強く出てるだけ
    記録上は平家も天皇家の子孫だし、天皇家も今のように薄くなったのは薄い顔の妃を貰い続けた結果で昔は濃かったのかもしれない
    俺の知り合いの畠゜姓も濃いが秦姓は薄かったりで先祖が共通と仮定しても長い歳月が経てば個人差、一族差が当然ある
    嫁の顔次第では一世代でも顔は変わるのに、たった七世代で100分の一未満になるんじゃなかった?
    俺も濃いけどそういう姓ではないし、苗字の元になってる祖父はどちらかというと薄いからな